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東京地方裁判所 昭和38年(ワ)509号 判決 1963年10月23日

判   決

東京都葛飾区上平井二一四番地

原告

関隆治

同所

原告

関裕明

右法定代理人親権者父

関隆治

同母

関愛子

同所

原告

宇田川長松

右三名訴訟代理人弁護士

岡田実五郎

佐々木

同都江戸川区東小松川二丁目四一二六番地

被告

共栄工業株式会社

右代表者代表取締役

鈴木利雄

右訴訟代理人弁護士

中直二郎

主文

1、被告は、原告関隆治に対し七〇、〇〇〇円、原告関裕明に対し三八九、六八〇円、原告宇田川長松に対し九一四、三一二円ならびに右各金員に対する昭和三八年二月六日以降その完済にいたるまでの年五分の割合の金員を支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は、第一項に限り、仮りに執行することができる。

事実

原告等訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決および仮執行の宣言を求め、その請求原因としてつぎのとおり述べた。

一、原告裕明は、昭和三七年一月五日原告隆治所有の自動三輪車(六―ひ―四六三号、以下原告車という)に原告長松を同乗させて江東区東小松川一丁目五四一六番地先江東青果市場入口附近道路上を北方から南方に向つて進行中江東青果市場入口に右折しようとした際、訴外添田克美が運転し、南方から北方に向つて進行する自動三輪車(六―さ―八一四四号、以下被告車という)と衝突し、原告車は大破し、原告裕明は頭部、顔面および左下腿の打撲挫創ならびに脳震盪症の、原告長松は右大腿打撲挫創、左大腿骨開放性骨折、頭部顔面右下肢打撲挫創、胸部打撲傷の傷害を受ける事故を起した。(以下省略)

理由

一、請求原因第一項のうち原告車との接触事故が原告主張のとおり起きたことは当事者間に争がなく、原告隆治所有の右自動三輪車が大破して修理不能となつたことは、原告隆治の本人尋問の結果によつて認めることができ、原告裕明および同長松がその主張のとおり傷害をうけたことは、成立について争のない甲第四号証の一、二によつて認めることができ、これに反する証拠はない。

二、請求原因第二項の各損害について判断する。

(一)原告隆治の本人尋問の結果によれば、同原告は大破した原告車を金一万円で訴外城東モータースに別に買いうけた自動三輪車の下取りとして売り渡したのであるが、原告車の事故当時の相当価格は八万円であつたことを認めることができ、反対の証拠がないとすれば、同原告は本件事故により原告車について七万円の損害をうけたものということができる。

(二)(1)  原告隆治の本人尋問の結果およびこれによつて成立を認める甲第八号証の一ないし五によれば、原告裕明は、前認定の傷害を治療するためその主張のとおり入院し、退院後自宅においてそれぞれ治療に従事し、八一、六八〇円の支出を余儀なくされ、同額の損害をうけたことを認めることができ、これに反する証拠はない。

(2)  原告隆治の本人尋問の結果によれば、原告裕明は、原告隆治の長男であり、当時一七歳で、都立江戸川高校の定時制二年在学中であつたが、昼間は原告隆治の家業である青果業を手伝い、給料として月二、〇〇〇円の支給をうけていたこと及び右負傷後約四ケ月間家業の手伝をすることができないため給料の支給をうけることができなかつたことを認めることができるから、得べかりし四ケ月分八、〇〇〇円の給料額相当の損害をうけたものと認めるを相当とする。

(3)慰藉料について判断するに、右のような傷害をうけた原告裕明が精神的肉体的苦痛をうけたことは明かであるが、前記認定の傷害、治療の経過、同原告の年齢、身分等から判断すれば、その額は同原告主張の金三〇万円をもつて相当と考えられる。

(三)(1)  原告宇田川長松の本人尋問の結果(中略)によれば、原告長松は、昭和三七年一月五日から同年六月五日まで前記加藤病院に入院し退院後は自宅においてそれぞれ治療にしたがい、治療費として同病院に二八三、七一二円を支払い、退院後同年九月三〇日までのマッサージ治療の代金として塚本接骨院に対し一三、七〇〇円を支払い、有限会社岡部商店(江戸川区小松川二丁目四二)に対し氷、木炭代一六、四〇〇円を支払い、有限会社永井徳隣堂(文京区春日町二一三一)に対して松葉杖代一、一〇〇円を支払い、合計三一四、三一二円の支出を余儀なくされたことを認めることができる。したがつて、原告長松は、本件事故によつてうけた傷害によつて右同額の損害をこうむつたものといわなければならない。

(2)慰藉料について判断するに、右のような傷害をうけた原告長松が肉体的精神的苦痛をうけたことは明かであるが、前記認定の傷害、治療の経過の外に同原告の本人尋問の結果によつて認めることができる(1)同原告は、昭和三二年三月千葉県館山市の房南中学校を卒業後原告関のところに雇われ、青果業に従事してきたものであること、昭和三七年六月五日加藤病院退院後松葉杖を使つて同病院に通つていたが、同年七月以後昭和三八年五月末まで塚本接骨院のマッサージをうけたこと、全治したわけではないけれども、足関節が屈曲しないので正座できない状態にあり、昭和三八年一月以来雇主たる原告隆治方の業務に従事しているけれども、長時間立つているときは傷口が痛み、思うように仕事ができないのみならず、左大腿部には骨折の結果長さ約二五糎の傷痕が胎つていることを考えれば、同原告に対する慰藉料は、特別の事情がない限り、原告主張の六〇万円をもつて相当と考える。

三、請求原因第三項(責任原因)について判断するに、

(一)(証拠―省略)を合せ考えれば、本件事故の現場は、江東区東小松川一丁目五四一番地先道路上江東青果市場入口の丁字型交叉点であつて、日発交叉点方面から進行してきた原告裕明は、江東青果市場の入口にあたるこの交叉点で右折すべく、約三〇米手前で右に方向指示機を出し、中央線附近に入つて一時停止をした時、斜右前方を進行してくるダイハツ車があつて徐行したので、そのまま右折進しようとしたところ、ダイハツ車の左側を猛進してきた被告車と衝突するにいたつたこと、被告車を運転していた訴外添田克美は、原告車の右折しようとしているのを約二〇米手前で発見し、停車すべく、ブレーキを踏もうとして誤つてアクセルを踏んだため衝突するにいたつたことを認めることができる。証人添田克美の証言中右認定に反する部分は原告長松の本人尋問の結果に照して措信しない。

この認定事実によれば、原告車は、被告車に先つて本件交叉点に入り、右折の態勢に入つたものというべく、被告車の運転手たる添田克美としては前方をよく注視して夙に原告車に優先右折を譲るべきだつたのである。そして、添田克美は、原告車を発見するや、直ちに停車して原告車を通過させるべく、ブレーキを踏もうとして誤つてアクセルを踏んだというのであるから、その正に運転上の過失であること疑いがない。

被告は、被告車の方が広道路を直進していたのであるから、原告車こそ被告車に譲るべきであつた旨主張するけれども、原告車が被告車よりもさきに交叉点に入つていたこと右認定のとおりであるから、この場合広道路優先の適用なく、被告の主張は採用しない。

(二)訴外添田克美が被告会社に雇われ、その業務に従事していたものであることは、当事者間に争のないところであるが、本件事故が被告のためにする被告車の運行によつて生じたものであるか否かについて考えるに、証人添田克美の証言によれば、被告車は、普段添田が被告会社の仕事で運転していたものであつたが、当日はあいていたので、被告会社の得意先である同和ユニット株式会社につとめている友達を訪ねるために運転していつた途中での出来事であつたことを認めることができるから、一見被告会社のためにする運行でなかつたかの如くであるけれども、他面同じ証拠によれば、添田は、時々私用でこの車を乗り出し、被告会社々長から咎められたこともあつたので、この日は社長から咎められるのをさけるために特に朝早く出かけたのであつたことを認めることができる。このような事情の下にあつたとするならば、客観的には添田の被告車運転は、被告会社のためにしたものというのを妨げないのであつて、被告会社は、原告隆治のうけた損害については民法七一五条の規定により、原告裕明および同長松のうけた各損害については自賠法三条本文の規定により賠償の責に任じなければならないというべきである。

四、以上のしだいであるから、原告らの請求を全部正当として認容し、訴訟費用の負担について民訴八九条の規定を、仮執行の宣言について同一九六条一項の規定を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第二七部

裁判官 小 川 善 吉

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